チュニジア旅行;世界遺産周遊の旅
新型コロナウイルスが世界中で流行し、海外旅行に行きづらくなってから早3年。ようやく日本も入出国の制限が緩和され、海外旅行がしやすくなってきました。
そこで私は、約3年ぶりの海外旅行に行ってきました。
行先は「チュニジア」です。
久し振りの海外旅行、しかも一人旅なので少し緊張しましたが、チュニジアは想像していた以上に穏やかで過ごしやすく、異国情緒たっぷりの国でした。
はじめに
「チュニジア」はアフリカ大陸の北部に位置し地中海に面しています。
日本からの直行便はなく、ドバイ経由で約22時間、4泊7日の全日程で、1泊2日だけ首都チュニス以外の世界遺産の都市を周遊するプライベートツアーを申し込みました。
公用語はアラビア語で、フランス語も広く使われていました。ホテルのフロントや観光地のお土産屋などでは英語も通じますが、それ以外ではほとんど英語は話されていません。訪れる前に少しでもアラビア語やフランス語を覚えておくといいですね。ちなみに、チュニジアで使われているアラビア語は少し特徴(なまり)があるようです。チュニジア語で「ありがとう」は「アイシュク」と言います。チュニジア人はみんな使っていました。
また、アフリカやアラブの国というと、政治・宗教などで国が安定していないイメージがあります。特に「アラブの春」という、2011年に中東・北アフリカの各国で発生した反政府デモ、民主化運動は記憶に新しいと思います。その発端となったのが、チュニジアの「ジャスミン革命」です。
しかし今では、日中は治安が悪い(怖い)と感じることはありませんでした。他国同様に注意を払っていれば、女性一人でも街歩きが楽しめます。ただ、地元のガイドさんによると、革命前よりも今の方がイスラム色が強くなり、女性のヒジャブ着用などを多く見かけるようになったそうです。そうはいっても、チュニジアは「ソフトイスラム」と呼ばれるほどなので、国民性は本当に穏やかです。
前置きはこのくらいにして、旅の記録を載せます。
↓Youtube動画にはもう少し詳しい内容が載っています↓
チュニス新市街
メイン通りの「ハビブ・ブルギバ通り」にはホテルやカフェなどが密集しています。
チュニス旧市街
「チュニス旧市街」は1979年に世界文化遺産に登録されています。ハビブ・ブルギバ通りをずっと西に進むと、新市街と旧市街を東西に隔てている「フランス門」があります。
旧市街(メディナ)の中は人が多過ぎてカメラを出すのをためらってしまったため、写真がありません。メディナは狭い路地にナブール焼、オリーブの木製品、民族衣装、金物製品、マグネットなど様々なお店が軒を連ね迷路のようでした。
カルタゴ遺跡
「カルタゴ遺跡」は1979年に世界文化遺産に登録されています。歴史と共に地層のように折り重なっている複雑な遺跡群です。
スース旧市街
「スース旧市街」は1988年に世界文化遺産に登録されています。ビーチリゾートとして有名で「サヘルの真珠」と称されるほど。
ケロアン
「ケロアン」は1988年に世界文化遺産に登録されています。グランド・モスクという7世紀に建立された北アフリカ最古のモスクがあり、イスラム教徒にとっては、メッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ聖地になっています。
「グランドモスク」は神聖な場所なので、女性は髪を覆わなければ入れません。入り口でヒジャブを貸し出してくれます。モスクの中はムスリムしか入れません。
鮮やかなタイルと繊細な透かし彫りがとてもきれいです。安置所はモスク同様神聖な場所なのでムスリム以外は入れません。しかし入り口にいるムスリムの男性に写真をお願いすることができます。快く撮影してきてくれるので、最後にお気持ちを渡すといいと思います。
旧市街の中では、ケロアン名物「マクロウド」も見かけます。これは甘い揚げ菓子で、外側はやや硬いですが和菓子のような感じで美味しかったです。
エル・ジェム
「エルジェム円形闘技場」は1979年に世界文化遺産に登録されています。世界第3位の規模を誇り、その保存状態は良く、今でもイベントに使われているそうです。
シディ・ブ・サイド
「シディブサイド」はチュニスより少し地中海寄りの丘の上にあります。「青い窓枠・扉」と「白い壁」に統一された街並みは、洗練されていて美しいです。この辺りは高級別荘地として憧れの場所なんだとか。
地中海を見下ろすこの絶景はカフェに入らないと見ることができません。
名物「松の実入りミントティー」。甘いミントティーとナッツの組み合わせは意外と悪くない。
コロナ明け1発目の海外旅行としては、大満足の旅でした。